くろねこと、
それは俺にとってはもう夢かと思うほどに小春が迫って来て押し倒されて焦るというか、こない積極的とか笑い取られへんやろ?とか 焦ってしまうぐらいの近距離で圧し掛かる重さに身を引こうとしたらざりざりと頬に何かが這う感触がして固く閉じた瞼をゆっくりと開こうとした。
「も…何、やねん重、重いて小春…あっ、そない大胆な事…ちょ…っ」
ざりざりと擽ったいものだからあまり覚醒していない頭で自分の顔に触れる少し固いが手に馴染み易い肌触りの良い毛並み…(小春の毛並みとか意味解からん)と寝ぼけた頭を覚醒させると俺の真上には黒い物体。
「何やお前かい…はいはい、おはようさん」
潔く身を起こしチュンチュンと小鳥の囀りをBGMに胸元には黒い物体が一仕事終えたような清々しい顔をして此方を見ている、その額を一撫でし頭の中の事は何だ、夢かとガクンと垂れた。
事を思い返せば通学路の途中で最近よく見る猫がいた。大体の人がそれを見たら親指でも隠して目を反らしてしまうだろう(霊柩車やそれ) 真っ黒な毛並みのそんなに大きくはない中型の黒猫が気のせいじゃないと思うけど逢う度に俺の方をじっと見ている。 最初は不吉だとか思っていたけど黒い猫は縁起が悪いなんて誰が言い出したのかも解からないし、寧ろ何か気になっていた、 それも毎日毎日行きも帰りも同じ場所で会うものだからすっかり顔馴染みのようにな気分になるのは気のせいかもしれない。
どちらかと言うと犬よりは猫がいいとか思うぐらいであって、飼いたいとかそういう衝動に走る程でもないし、撫でて愛でる事もしない、 俺にしたらそれはただの生き物であって特に一目置く程でも無い存在だった。
その猫は行きも決まった家の塀から帰りも俺の事をじっと見てるだけ。そこで此処の家の飼い猫か何かだろうと思ってたから…。
あまりにもビー玉みたいな碧色の目でじっと見てくるものだからその日たまたまそこに立ち止まって俺も見返してやった、 その猫は逃げる事も身を丸めて威嚇する事も無くその目を少し細めてぷるるっと顔を振った。
「お前ここん家の子か?」とか「何や俺の顔そないに変やろか」とか最近では見かける度に喋る訳も無い猫に向かって語る、 そうしていると猫は小さく鳴いて嬉しそうに(見える)尻尾をゆらゆらと立てて揺らすからつい面白くなって携帯で写真を撮ってみたり ついには自分の些細な愚痴みたいなものを吐き出している始末で、ちょっとしたオアシスになっていた。
「よー、今日も飽きんと其処から俺見とるな、そない見られたらツッコミ所あらへんわ」
「今日の小春ちょお釣れんかったで、あ、小春て俺の相方やねんけどな、て紹介しても解からんか」
ある日の帰り道いつもの様に立ち止まっては目線を合わせると直ぐにポケットから携帯を出して小春の写真が入ったフォルダを漁りつつ猫に一番のショットを見せて(あ、)と思い苦笑して携帯を仕舞った。
そんな俺の動作をじっと見ては時折耳を動かして本当に聞いて理解しているんじゃないかと言う錯覚に陥る。 そして腕に引っ掛けていたコンビニの袋がガサッと擦れた音を出したのでその存在を思い出す。
「せやけどお前の写メ見せたらめっちゃ可愛えて言うとってな、ちょっとした話題になってんで」
寧ろ俺が猫とかの方が面白いわ、とか言われたのがオチだったのだけど。少しでもネタになるなら拾うて食いついて貰えたら嬉しなるんは悲しい性だと思う。
(俺何やっとんねん、こんな所人に見られたら恥ずいわ)と猫を一撫でしてハッと我に帰って猫の前に缶詰を袋から取り出し置いてその場を立ち去った。
一方的だが密かにオアシスだったとは言えこんな事は今まで考えた事が無いぐらいの行動だった、 だから余計に恥ずかしい、というかそれは顔から火が出るとはこの事だろうか、俺が少し顔を伏せて足早に家に向かう足取りを速めた。
家まであと少し、という道でふと、思い返して一寸足を止めて振り返る、と、1メートルぐらい離れてとことこと四つの足を前後に動かしていたのをぴたりと止めてここでまさか俺が振り返るとは思わなかったのか 猫はビクリと身を竦めると顔をそろりと上げ碧の目を此方に向けてそのままの状態で足を止めた。
その間…多分5分ぐらいの沈黙。
(いやいや、何でこいつ付いて来とんねん)自分の頬が若干引き攣るのがよく解かった、気のせい、とまた向きなおして後ろを振り返る事なく家に着いた。
それから言うとソイツはちょこんと朝、家の玄関の前に座り帰りは校門の影で待機し、俺の少し後ろをてくてくと歩いている。俺の通学は+1匹と何だから妙なものになった。
そしてある学校も部活も無い久しぶりの休日、ゆっくりと昼頃までニ、三度起きてはまた寝るとかを繰り返して流石に腹が鳴り出してきたので仕方なく起きて台所へと向かった。
あんまり気付かんかったけど俺が家から出ていない時とかはあの猫はどこでどうしているんだろうとか(あの塀の家の飼い猫やったら別にどないでも無いんやけど)とりあえずトーストを焼いてかじりつつ居間のソファに座って何気無く外を見たら驚いた。
見覚えありまくる黒い物体…が、普通に我が家の庭に居った。
庭で草木を弄る母親は一体何をしているんだと文句を言いに部屋着のまま窓を開き軒に備えていたサンダルを履いて庭に出て母親を探す。
「おかん、猫勝手に入ってきとるで」
今頃起きたのかとかどやされるかと思ったら結構機嫌が良いらしく鼻歌交じりに草むしりなどやっている、…俺の存在は気が付いているのだろうかと少し肩を落とせば足元にはいつの間にか猫が擦り寄って来ていた。
「もー、何やねんお前は…もしかしてストーカーやろか、猫てストーカーする習性あんのやろか、なあ?」
しゃがんでその猫をじっと見るとまたいつもの目で俺を見上げて居るから何だか邪険に出来なくなってしまった。
「ええやないの、その子アンタの事気に入っとるみたいやね、朝も一緒に出掛けよるん見かけとったけど面白かったわアレ」
「…それはコイツが勝手にやな…まぁええけど」
見られていたと言われればそれが母親なら恥ずかしがっても文句も言えないのでそれはそれで黙って話しを進める、 左手を伸ばして猫の額を軽く撫でそいつを見れば母親と俺の間にさも普通に座って尻尾をゆらりと振り小さくニャーと鳴く様を見ると怒る気力も失うというもので。
「飼い猫やったらこんな所来えへんのとちゃう?それにそない手入れされとるように見えんし、…野良やったら何処うろつこうが勝手やないの、それにしてもよう懐いとるね、アンタ来る前はじっとしとるだけやったのに」
あー、と母親の声を耳半分で聞いては生半可な相槌をして指先で猫の喉元をちょいちょいと撫でてやった、こうしてやったら本当に心地良さそうに小さな顎?を少し上げて目を細めていると本当にこれが猫にしたら気持ちのいい事なのかと納得してしまった。
「ほんで何でおかんは普通に猫を受け入れとんねん」
「めっちゃ大人しいてええ顔しとるやないの、丁度こんな猫欲しいて思ってたんよー…ふふふ」
(何が"ふふふ"やねん)と母親を半眼で睨んでいると猫は更に俺の方に近寄って来て耳を軽く動かして暢気に欠伸などしている。 確かに飼い猫かと勝手に思っていたが撫でていた手を軽く鼻にあてるも臭さは無いが獣独特の匂いがしてシャンプーやらで洗われているような感じは無かった。
それに状況が解かっているならさっさと飼い主の所に戻るだろう。
飼い主が居るならそれまで預かるんも有りなのかもしれない、とノリノリの母親は置いといて何だかんだで俺がこの猫の世話をする事になって冒頭に至る。
大体を俺の部屋で過ごして何故か普通に学校に一緒に行く程にすっかり居付いてしまった癖にこの猫にはまだ名前が無かった。