It was out of order



それからの事なんか覚えてへん、気になりだしてからの俺と言えば、ある日課が出来た。
ちょっとの隙を見て部室で一人になれば見慣れてしまったロッカーの中からジャージを取り、胸一杯にその匂いを鼻に吸い込む。
ほんまに滑稽で、気持ち悪いことこの上無い、けどこれが精一杯であって、この瞬間だけ先輩の一番傍に居れとる気がした。

大分嗅ぎ慣れた匂いが頭を完全に狂わせたんやと思う、夢中で首元、袖先、背中、ありとあらゆる部分に鼻を擦り当てて堪能したら解ったんや。 この匂いが好きや、この匂いの一番近くに居りたい、と、ただ無我夢中やった。

そないな事をしとって数日が経ち、学校が休みであっても部活はある、そして今日は絶好のチャンスや。
一番乗りしたんはそんな事をする為や無うて当番だったから、先輩らや部の連中よりも大分早くに出かけ、預かっていた部室の鍵を開け、自分のロッカーには見向きもしないで当たり前のように堪能して気が付いたらその状況が急に途端に虚しくなった。
それを俺は先輩のジャージに鼻先を当ててから暫く経ったと言うのに俺に与えられた事なんて何一つ手に付かない。
それやのに虚しさが過ぎればそれに軽く噛み付く、唾液で塗れた自分の歯型が濃い黄色で形を作り、それを見ると泣きそうになった。
自然と顔を引いて何事も無かったかのように元あったようにジャージをハンガーに引っ掛ける、匂いで頭が一杯やった所為かそこまで意識が向かんかったのにふと足元を見れば試合で使うのであろうダンボールに様々な小道具が整理されてへんくて山のようになって積まれていたのに何だか愛しさがこみ上げてぷっと小さく吹き出した。

(ユウジ先輩て、がさついし、口悪いけど、全然俺みたいに裏表あらへん…それもまた魅力なんやろか)

そない思うと静かにロッカーを閉めるとその取っ手を軽く指先で撫でてはいつも此処にあの人が手を掛けているんだと目を細める。
あと、自分の異変に思いしめされたんはその日が初めてやった。熱くなる下股を手で押さえ、額をロッカーに押し当て項垂れた、どうしようもなくて其処から転がるように離れて自分のロッカーの前に凭れて蹲るように膝を抱えて座り込む。
こんなんで自身が反応した事に、正直驚いた、本当にどうしようもない。感情がぐるぐるしすぎて一杯になった頭はガンガンと警鐘を鳴らし、吐き気までして立てなくなってしまった。

そして大分時間が過ぎた頃にようやく治まった熱に対してまだ頭痛と虚無感が残る、当番て何するんやったかなとかぼんやりしか出来んかった。

「…そんでやな、あのネタやけどももうちょいどないかせな今ひとつやと思うんやけど…小春はどない思う?なぁ…小春、聞いとんのかい小春!」

そろそろ先輩らの御出座しか、とか未だぼんやり座り込んで顔を埋めとったのにその声にハッと顔を上げた、確かにあの人の声で、ひかる、と聞こえた。

「あら、当番やったん?ちゅーても着替えもまだやんどないしたん?」

顔を上げた先は小春先輩やった、あの人は後ろからブツブツと何か呟いてこっちを見てる訳も無い、あぁ、こはるか、今の聞き違いに顔が熱くなった。
どんだけ頭が沸いてしもてるんやろうか、今俺はどんな顔をしてるんだろうかとか思うとまた顔を腕の中に伏せる。

「ちょっと、光、光ちゃーん?どないしよユウくん、光ちゃん動んなったわこれ」

「なぁ小春て…、あぁ?放っとけや、どうせ腹痛いとかやろ」

ほんまに腹痛いだけやったらどないよかった事か。アカン、こないな所先輩の前で見せた無い、ほんま、ほんま…。
当の先輩は俺を余所に自分のロッカーに真っ直ぐ向かい俺やのうて俺の前に居る小春先輩ばかりに声を掛けとる。
ちらりとその様子を伏せた顔の隙間から盗み見ればほんの数分前に俺がそれでおっ勃ててしもたジャージに袖を通す先輩の姿があった。
衣服を着る音がダイレクトに耳に入る、まるで耳の中まで擽ったいような、そんな感触に背中が震えた。
こないな事前までは普通な事やった筈やのに、ユウジ先輩の声が聞こえる度にドクドクと首の脈の音が煩くなっとった、寝たフリしたらええんやろか此処は。
頭の中で考える事はこないな事で小春先輩が軽く俺の肩に触れて叩いているというのに声を出して顔を上げるどころか指先が1ミリ程も動かなくなってしもとる。
強く肩を叩かれてどんな顔をしているか解らないまま、一番そういう所を見せたくない人に向けてその顔を上げてしまえばどないかなるんやろか。

「顔色悪いし…具合悪いんやろか、ちょお保健室連れてくわね」

「…ちょい、待ちや小春、お前が連れて行くんか?」

「当たり前やないの、放っとけとか言う誰かさんとは違うんやからね」

「それはつまり、おんぶしたるっちゅー事か」

「…そうやねぇ、歩けへんようやったらそないしたらなアカンわねぇ」

「マジか…うおっ、俺も腹…っ!」

耳の横でガッと鈍い音がした、小春先輩がユウジ先輩の鳩尾をヒットさせたらしい、それやのに小春先輩の後ろに素早く回り、脇から腕を回して抱き付いて…いや、泣きついとる。

「ちょ、もう離せや!アンタと乳繰り合うとる場合やないわっ」

「小春、…俺は今"かいしんのいちげき"を受けたで…責任取って俺の事看てえや」

いやいや、乳繰り合うて表現もどないなんすか、と内心で突っ込みを入れてしもた、何で目の前でこの人には敵わない事を見せつけられなアカンのやろ。

「何言うとんの、ピンピンしとるやんけ。さぁ、あたしとたっぷり濃厚なベッドタイムが待ってるわよぉ〜、しかも保健室とかいやらしいわぁ、うふ…ほなら行きましょか光ちゃ〜ん」

「ちょい待ち、俺がおぶって連れて行くから小春はアカン…絶対アカン!」

いや、それほんまに勘弁してください、と心の中で突っ込んだ、ほんまにシャレにならんから。
何度かバレんように息を吐いて顔を上げる、今どないな顔しとるか気にしとる場合やない、ほんで強いて言うならどっちにも運ばれた無い。心配して言うて貰とるのにこないな事しか考えられんかった。

「あの…俺一人で行けますんで…、何も準備出来てませんけど…」

やっとの事で振り声を振り絞った言うのに俺をどっちが連れて行くかで揉めながら尻やら腰を揉んどる二人に眉を寄せた。揉めながら尻を揉む…アホか。
ロッカーに手を付いて立ち上がり目を細めると先輩らを見ては自分でも驚く程の低い声が出た、これはこの二人の間に入られへん俺の精一杯の僻み。

「先輩ら…煩い、キモい」


そんな俺をあら、まぁ…と本気で心配してくれて呟く小春先輩、その小春先輩に浮気か!と飛びつくユウジ先輩、先輩らにそないな言葉当てたなかった、キモいんは自分やから。
そして多分嫌われた、と何故か思うて逃げるようにして一刻も早く其処から離れたくて部室を出た、中では外から丸聞こえな程にユウジ先輩を咎める小春先輩の男前な声が響いた。

(小春先輩は気い利かせて自分が連れて行こうとしてくれとったんやろな)

とは理解出来たから、余計そないしてくれるんはどっちか言うたら迷惑な話しや、小春先輩ほど純粋に恋愛も出来んし可愛無い、思われたかてそないな考えしか辿り付かんのは俺の性分らしい。
今は未だ、一番近くに居りたい、っちゅー事すらままならない俺はかぶりを振って少し瞼を伏せそこから離れた。

の筈なのに直ぐに歩いているであろう俺の視線は……ドンっ!という衝撃と共に地面に近い所にあった。

「すまん、めっちゃ走っとて気が付かんかって…て財前やん、意外とドジっ子?」

頭の上からした声はまた今聞きたく無い声、もういっそ相談なりカミングアウトしてもたら楽になるんやろかとか思てしまう程にポジティブオーラが漂うとるけどあまり構われたない人にぶつかって蹲った俺を見て手を差し出し覗き込んどる。

「すんません…立てますんで」

ぶつかった時に膝を着き、顔面が地面に近くなった寸でで身を守るためについた両手を軽く払うて少しだけその顔を見る為に視線を上げた。
…あぁ、謙也さんまた前みたいな顔しとる。こんな気持ち悪うてしょうもない俺の所為でまたそないな顔させてしもた、と膝が震えた。

「何や、自分当番…、て…あー…ちょい待っとき」

謙也さんは抱えていたテニスバッグをすぐ近くだった部室の入り口の壁に立て掛けて直ぐに俺の前へ屈んで背中を向ける。
何でこの人は直ぐにこういう事をするんだろうと暫くいつもより大きく見えるその背中を眺めてはそれを指差した。

「謙也さん…何ですかこれ」


「顔見たらすぐ解るわ、ほんまアホやな財前は」

「そない目出度い作りなってへんですんませんね、丁度腹が痛いて保健室行こ思とったんです折角やから乗りますわ」

やっぱり変な顔しとるんやろうなと払うた手で顔を覆う、相変わらず素直に礼のひとつも言われへんのかと、深く溜息を吐くと謙也さんの背中は軽く揺れとった。

「腹だけや無いやろ?」

そうや、本当は物凄く助かったんや、その言葉に背中におぶさる為に肩に添わせた腕をぴくりと跳ねさせては何故か気持ち悪い俺の事を全部見透かされとる気がして俺の足を抱えてひょいと立ち上がるとその背中に顔を埋めて此方を向いて居ないと解るとせめてと、何度も頷いて気を抜けば出てきそうな嗚咽をシャツを強く握り締めて堪えた。


「ほんま、アホやろ」

「…慰めとるんですか、バカにしとるんですか」





To be continued